国のはじめについて書かれている 「古事記」 に出てくる塩土老翁(シオツチノオキナ)が、製塩の創始者と言われ、塩土老翁は宮城県塩釜市にある塩竈神社に祭られています。古代の人は海水を直接煮詰める方法をとっていたと考えられていますが、「万葉集」には「藻塩やく」と記録されており、海藻を天日乾燥させ、何度も海水をかけることにより塩の結晶を作っていたと考えられます。この製法を忠実に守った『藻塩焼き神事』が宮城県塩釜市にある、御釜神社で毎年7月に行われています。

 奈良時代になると「塩浜」と言われる、浜を利用した塩つくりが行われていたようです。安土、桃山時代になると瀬戸内海を中心に、各地で塩田による製塩が行われていました。海水を浜に撒き、天日で乾燥させることを繰り返し行い、塩の結晶がたくさんついた砂を集め、濃い塩水を取ることにより塩を作る方法、揚浜式塩田がとられていました。

 その後、塩づくりの効率をよくするため土木技術の工夫がなされ、満潮時の海水を石垣等で囲われた塩田に引き込み、門を閉じ、中の海水を天日で完全に乾燥させる方法に進化しました。これを入浜式塩田と言います。

 この入浜式塩田は約300年続きます。昭和30年代には、枝条流下式に変わりましたが、今日でも、海に面する諸外国では、入浜式塩田で天日塩が作られています。

 塩は、人の生命維持に欠くことのできない貴重なものです。それゆえ、時に権力者が富を得、利益を確保するために塩を独占する方法が取られました。

 そのような背景から塩の流通は、アジアでは中国が紀元前4世紀頃に専売制をとって管理していました。ヨーロッパでは、5世紀にローマ帝国によって専売制が確立したと言われています。日本での専売制は、明治38年に国庫収入の増加を目的として実施されました。さらに昭和34年に日本専売公社が設立され、塩業界が整理されます。整理統合が拡大されるとともに、純度の高い塩が作られるようになります。昭和46年には、塩業近代化臨時措置法が発令され、

  1) 民間企業が日本の海水から塩を製造してはならない。
  2) 民間企業が独自に海外から塩を輸入してはならない。

となりました。

 国は、その代わり塩田不要の「イオン交換膜式」により、純度の高い塩化ナトリウムを抽出する塩生産に踏み切ります。”海のミネラルがバランスよく含まれていた海水乾燥物=塩”であったものから、”高純度の塩化ナトリウム=塩”と呼ばれる時代になりました。

 塩専売法のもとに作られる、このような純度の高い塩化ナトリウム塩に消費者は不満を覚え、消費者運動が発生しました。その運動の成果として、「天塩」「伯方の塩」などの民間塩メーカーが生まれ、にがり等のミネラルを加え、平釜にて塩の結晶を作る再製加工塩が誕生しました。

 この運動の背景には、一部の医師の学説として、塩分の取り過ぎによる高血圧や腎臓病などの原因という論議が一因していました。結果、塩はすっかり悪者扱いされてしまいます。しかし、単純に塩の製法が変わったことだけが問題ではなく、私たち日本人の食生活の急激な変化が1番の問題だと考えます。

 塩専売法は、国の自由化政策の一環として平成9年4月に廃止され、塩事業法が制定されます。塩事業法のもと、海外の入浜式塩田の天日塩が輸入できるようになり、また国内においても、届出をすれば自由に塩を海水から作れるようになったことにより、古来の製法で作られた塩が復活しました。専売法のもとで作られた塩は、(財)塩事業センターが引き継ぎ、センター塩という名称に変わりました。

 塩事業法に移行になった現代においても、人が生命を維持していく上で塩が必要不可欠であることに、変わりはありません。塩には様々な効果があります。食品の味付けや、りんごやじゃがいもの変色を防いだり、防腐作用や筋肉や神経の興奮を鎮める働きもします。どんな食品も同じことが言えると思いますが、取り過ぎは体調を損ねる原因になります。何事もさじ加減が重要なのです。

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